2009年03月07日(土)

「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました」創世記3:8


エデンの園で、アダムとエバは、食べるなと命じられていた善悪の知識の木の実
を取って食べた。サタンに誘惑されての事だった。

その時に、罪が入った。自分たちが裸である事を知り、いちじくの葉をつづり合
わせて、腰のおおいを作った。

そして主の御声を聞いた時に、御顔を避けて、木の間に隠れた。主は彼らと語り、
交わりを持つ事を喜び、楽しんでおられた。
ところが彼らは隠れた。「あなたは、どこにいるのか」との語りかけに「裸なの
で、恐れて、隠れた」と答えた。隠れた本当の原因は、裸なので、恐れたのでは
なく、罪を犯したから恐れた。

それで神は「裸だと誰が教えたのか」と原因へと向かわせ、そしてはっきりと
「食べてはならないと命じた木から食べたのか」と、罪そのものに言及され、悔
い改めへと導こうとされた。

しかし「ごめんなさい、食べました」の悔い改めでなく、エバへの責任転嫁に及
んだ。しかし、尚も神は、その人間に皮の衣を作り、着せて下さった。動物の血
で罪をおおうものであった。

やがて御子キリストを遣わし、十字架の血潮によって交わりの回復の道を備えて
下さった。血潮のゆえに、罪赦され、隠れる事なく、恐れなく、主との交わりの
道が開かれた。何の隔てもなく交われる、罪人のためにいかばかりの愛だろう。
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罪を犯した人間を見捨てず、追いかけ、どこまでも追いかけ、至れり尽くせりの
愛を注ぎ、最後は御子まで殺して下さった。今、御霊の語りかけがあれば、促し
に従おう。愛の御声だ。愛されている事がわかる。