2009年04月03日(金) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3
ピリピの教会で、ユオデヤとスントケは、共に主のために歩んでいたが、二人の間はうまく行っていなかった。 それで主に在って一致するようにと、パウロは言っている。一致を妨げるものが「自己中心」と「虚栄」だ。 交わりの中で、色々な出来事が生じるが、自分に関係の無い事は、おおらかに、フェアで寛容でおれるが、いざ自分と自分の利害に直接関わって来るや、おおごとだ。 神経過敏になり、自分を守る態勢に入り、がっちりガードし、相手を責め、攻撃的になってしまう。これは「自己中心」によるものだ。 又、誰かの言葉が、自分のプライドや虚栄心、めんつに触れたりするなら、大変だ。 プライドでも傷つこうものなら、激怒して反撃に出るか、内向し て執念深く恨み、憎しみと敵対心を持つ。 あなたの心にざらつく思いやイラ立ち、苦い思いが出て来たら、自己中心、虚栄、プライドでないか、御霊によって心探って頂き、よく吟味しよう。 苦い根をそのままにしてはならない。その根は心に巣くって、どんどんはびこってしまう。 すぐに十字架の血潮できよめて頂こう。罪の苦い根を、小さい内に、次々と根本から引き 抜いて行こう。 心に平安が失せた時には、すぐ御霊に照らして頂こう。赦されて、平安が戻る。 苦い根をはびこらせてはならない。命取りになる。 ---------------------- 苦い根をそのままにしているなら、御霊の促しすら聞き分けられなくなる。私達は、放っておけばすぐに自分中心、自分、自分におちいる者だと、覚えていよう。謙遜になれますように。