2009年09月06日(日)

『そこで彼は言った「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」』U列王7:2

飢饉で人々が餓死するような、非常事態の中、エリシャは、「明日、小麦や大麦
が溢れるばかりにある」と言うと、侍従はそんな事が、あり得ようかと言った。
すると、あなたはそれを見るが、食べられないとエリシャが預言した。

そんな時、サマリヤの門に四人のらい病人がいた。町は飢饉、ここにいてもどう
せ自分達は死ぬ。それなら、敵の陣営へ入ってみようと。あるいは食料があるか
も知れないと。

アラム陣営では、神がアラムに大軍勢の騒ぎを聞かせられ、襲撃に勘違いさせた。
アラムは驚き恐れ、陣営を置き去りにし逃亡した。彼らがそこに入ると、山ほど
の金銀、溢れるばかりの食料があった。

彼らは、王家に知らせた。王は信じなかったが、偵察により事実を知った。する
と、大勢が殺到し、侍従は踏みつけられ死んだ。預言通りになった。

実際、溢れるほどの食料を神は用意された。しかし、それを信じなければ、自分
のものにはならない。溢れる食料があるに関わらず、飢えて死ぬ事になる。

私達も同様だ。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされる事・・、溢れ
る食料の中にいながら、信じなければ、餓死するように、溢れる恵みの中で、不
信仰で、飢えていないだろうか。

自分で恵みをシャットアウトしている自分の姿がないか。莫大な食料が目の前
に備えられている。信じようとしない、受け取ろうとしない自分がいるだろうか。

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「神に不可能が一つもない」信じている「つもり」でなく、本当に信じきれな
い自分がいるなら、まず「信じられません。助けて下さい」と祈ろう。御霊は頑
なな自我が妨げている事も見せて下さる。溢れるばかりのご愛、恵みに浴したい。