2010年01月07日(木)

「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」イザヤ55:9



信仰生活を長らく歩むと、一つの事に気づく。それは信仰人生は、自分の思い通りにはならないという事だ。本当に思い通りにならない。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる」の通りだ。しかし、肉の自分の思い通りより、遙かに素晴らしい、神の最善の道が用意されている。

念願の進路、進みたい学校や職場の道が閉ざされるなら、神の意志と受け止めよう。その所で、神のみ思いを尋ね、御心を求めよう。神は、あなたのために、遙かにふさわしい、良い道を備えて下さっている。結果的に、後になった時、それが最善だったと必ずわかる。

病気の癒しを祈って、与えられない時は、その病を受け入れて行く事を学ばされる。様々な難しい対人関係は、良き訓練だ。目の前の相手を、神が置かれている。周囲すべてが寛容で柔和な人々であれば、自分の本当の姿を知る事もない。摩擦が生じる相手、イライラする相手、ぶつかる相手が置かれる。

それらの人々により、自らの内にある短気、怒り、妬み、憎しみ、敵対心、高ぶり、プライドがあぶり出される。以前からあったものであり、自分の姿だ。それを逃げても、必ず第2の相手が現れる。自らが砕かれ、練られ、きよめられるためだ。自分が変えられる。
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目の前のすべての事に神を認めるなら、問題は自分の内にあるとわかる。感謝できない自分、受け入れられない自分、捨てきれない自分。思い通りに行かない時が変えられる時だ。神の最善を信じ安んじていよう。