2010年02月04日(木)

「ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをする・・あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです」ヤコブ4:2



欲望それ自体は悪ではない。食欲が無ければ生存できないし、知識欲は御言葉を知りたいと願い、意欲は生きる原動力だ。しかし反面、欲望は容易に罪に傾いて行く。欲しいと思うと、コントロールが効かず、何が何でも持ちたくなる。

人と戦っても得ようとする、人殺しまですると。それほど欲望とは強烈だ。しかし、「あなたがたが願わないから」とあるように、神は私たちに、欲しいものがあるなら、神に願えと言われる。

自力で奪い取るのでなく、神に求めよと。神が与えて下さる。何と喜びであろう。「すべての良い贈り物は、上から来る」。そして、神と交わり、祈りを重ねる中で、そのものが自分に本当に必要なのか、又、今、必要なのかがわかって来る。

神から離れたこの世では、人は欲望のままに生きる。「私たちもみな、かつては・・自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない」の通りに。
しかし、主との交わりの中で、自分でもわからなかった、心の底の本当の願いや、本当に必要なものが、明らかにされる。

ある人は、進路について自分の強い願いがあり、祈っていると、それは人からの賞賛が欲しくて、願っている事だと気づかされた。そして祈り続けていると、自分の本当の願いは、そうでなく、神に喜ばれる選択をしたいという事だとわかった。平安ある進路変更に導かれた。祈るなら、時に自分の思いと異なるが、
必ず「良いもの」を下さる。
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ただ欲しい、あらゆる方法を用いても欲しい・・その思いも祈るうちに変えられて行く。祈りの中で神様が関与して下さっている事がはっきりわかる。御心ならば与えて下さい・・へと自分が砕かれて行く。祈ろう。