2010年04月06日(火)

「父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」ルカ15:20



弟息子は、父親に財産を要求し、すぐ遠国へと旅立った。あれよあれよと、全財産使い果たし、その上に、飢饉到来。食べるに困り、豚の番人に。落ちぶれた息子は、我に返り、食べ物の豊かにある父のもとへ帰ることを決心。息子ではなく、使用人として、雇用してもらおうと考えた。

しかし、放蕩三昧し、どんな顔をして帰ればよいのか。すると、息子の思いを遙かに越えた事が起きた。まず、父親の方から、走り寄って迎えに出てくれた。彼が家出をした日から、朝に夕に帰りを、待ち続けていた。

ひと時たりとも、息子の事を考えない時は無かった。息子は父のことなど全く頭になく、遊びほうけていた間も。更に、叱られ、説教と思いきや、大喜びで迎えられた。抱かれ、口づけされた。こんな自分が愛されていると、真に理解できた瞬間だった。

謝罪の言葉の練習をしていたが、その時、心の底からの、悔い改めがほとばしり出た。「天に対して罪を犯し、あなたの前に罪を犯しました」。息子は、父親に何一つ提供しなかった。父親が財産を与えた上、尚も、一番良い着物、指輪、靴、与えるばかりであり、息子は、受けて感謝するばかりだ。これが恵みだ。

父親は息子が帰ったことを大喜びした。御父も、私たちが、どうであれ、とにかく、帰ることを大喜びし、迎えて下さる。罪で失敗する度に、躊躇しないで、すぐに帰ろう。
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罪を示される時、いい訳や取り繕おうとする思いが湧いて来るが、その思いに引っ張られると御父から遠ざかるばかりだ。私達には赦して下さる御父がいて、悔い改めが出来ると知っている。なんという恵み、幸いだろう。