2010年07月04日(日) 「イエスは『わたしにさわったのは、だれですか』と言われた」ルカ8:45
「イエスは『わたしにさわったのは、だれですか』と言われた」ルカ8:45
この女性は、出血が12年間も続き、どんなにか苦しみと辛さの中にあった事だろ う。律法によると不浄との事で、礼拝にも出れず、身体も心も痛み、社会的にも 疎外されていた。 治療のため財産を使い果たし、経済的にも困窮状態だ。そして、治癒どころか、 ますます悪化し、これから先どうすればよいのか、心身限界で、ぼろぼろであっ たろう。先は真っ暗で、わらにもすがりたかったに違いない。 そんな時、主の噂を聞き、せめて着物にでも触ればきっと直ると思った。必死で あった。触れた瞬間、血の源が枯れて、ひどい痛みが直った事を感じた。群衆に 紛れて、そそくさとその場を去ろうとした。 が、主が「触ったのは誰か」と問われた。隠れて潜んでいたが、隠しきれないと 思い、震えながら進み出た。「イエスの前に出」たのだ。どんなに勇気の要った 事だろう。「すべての民の前で」イエスに触った理由と、すぐに癒された次第を 話した。 自分を卑下し、人に隠れて、こそこそと陰にいたのが、主に導かれて、従う事に より、光の中へと入れられた。そして、あるがままを告白できた。これがすでに 大きなみわざだ。 主は「あなたの信仰が」と信仰を認め「安心して行きなさい」と、もう恐れも不 安も怯える事もない、全き平安と安堵を下さった。 身体だけでなく心を癒し、全人格的救いを下さった。告白は彼女自身のためであ った。あなたにも、告白を求めておられるだろうか。光の中へと招くために。 ・・・・・・・・・・・・・ 後ろから密かにさわった女性に、主は正面から向き合い、その信仰を受け止め、 告白に導き、はっきりとしたものにして下さった。密んでいたい、隠れていたい という、そこのところを砕き、全き平安と安堵、喜びに満たして下さった。