2010年11月06日(土)

「私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした・・確信したからである」使徒16:10

時に、神の御心を求める時、「御心を示して下さい」と祈り、聖書をパッと開い
て、偶然開いた箇所の、パッと目についた御言葉を取って「示された!」と言う
事を聞くが、それは危険だ。

聖書は占いの本ではない。すべての御言葉には前後関係があり、文脈があるので、
前後関係を全く無視して、1節だけを取り出すのは、間違った方向に行ってしま
う。異端がしかりだ。神の導きと正反対の方向へ進む。

人は主観が強いと、又、強い願いや思いがあると、御言葉を、自分の都合のよい
ように取り込んでしまう。どうしても、人間は、肉の思いがあり、自分の都合に
合わせて読み込みたいものなのだ。

そうすると御心を誤ってしまう。御心を求める時は、よくよく祈ることがまず大
切だ。日常生活全般に耳を澄まし、御言葉を待ち望むことだ。礼拝メッセージか
ら、デボーションから、信仰の人々との交わりの中から、様々なものを通して、
主は必ず語りかけて来られる。

指導者の助言も参考にするとよい。様々な経験を持っているので有益だ。祈りつ
つ、御言葉を待ちつつ、状況、環境をじっと見ていることだ。門が閉ざされたな
ら、それは御心でない。御心なら自分で開くのでなく、必ず環境が開かれる。

門が開かれ、御言葉と平安与えられ、尚かつ祈るなら「確信」が与えられる。そ
の時はぐずぐずせずに、即、立ち上がり行動に移し、前進すべきだ。あなたへの
御霊の導きは、今、待ち望めか、それとも前進せよだろうか。

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大切な事ほど、よく祈り、耳を澄まし御声を聞こう。状況を見張り、不安がある
なら、時間をかけて祈り続けよう。御心なら必ずその不安を取り去り、平安にし
て下さる。確信が来たなら、祈りの座から立ち上がり実行しよう。祝福が待ち受
けている。