2011年01月06日(木)

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません・・ですから、あわれみを受け、また恵みをいただいて・・大胆に恵みの御坐に」ヘブル5:16


私達は天へ帰るまでは、古い性質と新しい性質が、いつも戦っている。霊と肉の戦いにあり、御霊が新しい性質に働きかけ、肉がサタンと結託し、どちらもが私たちを引っ張る。これが終わるのは、天に帰る時だ。

真の休息があり、安らぎが待っている。それまでは霊の戦いだ。そして私達に弱さがある事を主はご存じだ。あなたの弱さをわかっていて下さる。だからこそ、主を覚えて忍耐する事ができる。そして、主のゆえにいつでも恵みの御坐に行く事ができる。

私達は喜びと力を感じている時は、主のために働き、主に近いと感じ、逆に弱さを覚え無力でいる時は、主を遠く感じるだろうか。「お前のような者はだめだ、だめだ」サタンの執拗な声が聞こえて来る。ますます主から離れてしまう。

御言葉はどう言っているか。恵みの御坐に近づける根源は「あわれみを受け」「恵みをいただいて」、あわれみと恵みだ。自分の功績にいっさいよらない。一方的な愛顧であり、プレゼントだ。主のあわれみと恵みがあるから、どんなに破れた状態でも、御前に行く事が出来る。

これを信じるなら、「聞いたみことばが信仰によって結びつけられ」信仰によって、どんな状態でも恵みの御坐に行くはずだ。そして新たにされる。恵みの御座が用意されている。今すぐ行こう。
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ありのままの自分でいつでも大胆に御前に出て行けるとは、何と感謝なことか。あれもこれも整ってからと思うのはサタンの欺きだ。天に帰るその日まで神様のあわれみと恵みを素直に受けて喜んで歩もう。