2011年06月06日(月)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」創世記50:20 


ヨセフは、父ヤコブから特別に可愛がられ、兄たちの妬みを買った。妬みは憎悪となり、兄たちはヨセフを殺そうとした。しかし丁度そこに、エジプトへ向かう隊商が通ったので、ヨセフを隊商に売り飛ばした。一人、異国の地へと売られたヨセフはどんな思いであったろう。だが、ヨセフはそこで信仰によって生きた。
主を頼り、エジプトで主人のもとで忠実に働いた。無実の罪で投獄という試練も通りながら、ヨセフは苦しみにより訓練され、練り鍛えられ、きよめられて行った。

17才の時に、奴隷としてエジプトに来たヨセフは、30才の時にはその地で総理大臣に任命された。「高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。それは、神が・・かれを高く上げられるからだ」。結局、飢饉の中、一族はヨセフによって救われた。

ヨセフは神の摂理を信じていた。それは、自分がどんな事態に遭遇し、どんな状況に陥ろうとも、それが、人からではなく、神から来ていると、信仰の目で見ていた。「あなたの行く所、どこにおいても主を認めよ」すべての道で、主を認めた。人は悪意で攻撃して来るかも知れない。しかし、主は、人の悪意ですら、良いことのための計らいとされる。この主を信じ、従って行こう。
--------------
悪意の攻撃だけに捕らわれ目がさえぎられないよう、失望しないよう、すべてにご計画を持っておられる主を仰ぎ見ていよう。苦しい今の時も無駄にはならず、必ず益としてくださる。