2011年08月07日(日)

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの 囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25



パウロは、アジアで御言葉を語る事を禁じられ、ビテニヤの方へ行こうとすると、
それも止められ、南も北も阻止されるので、西に向かうとトロアスで「マケドニ
アに渡って来て、私たちを助けてください」との幻により、御霊の導きを確信し、
マケドニヤに渡った。

そして、ピリピの町へ行った。川岸の祈り場へ行き祈り、そこにいた女たちに宣
教した。その後、占いの霊に憑かれた女奴隷から、悪霊を追い出した。すると、
儲ける望みの無くなった主人たちに、訴えられて、捕らえられ、投獄されてしま
った。むち打たれ、暗い奥の牢へ監禁されてしまった。

御霊の示しに従ったのに、祈ったのに、問題が来て、苦しみがやって来た。こち
らに落ち度は無く、ましてや宣教のために来たのに、投獄だ。これでは、どうに
もならないではないか。しかし、神の計画は着々と前進していた。

牢獄で不平不満一つなく、祈り、賛美する彼らは、囚人たちに大きな証しとなっ
た。投獄を通して、結果的にそこの看守が救われ、何と全家族が救われたのだ。
そして、ピリピの教会の核となって行った。神に間違いは無い。

ちゃんと従ったのに、あんなに祈ったのに、どうしてこのように??との状況に
あるだろうか。今は全体像が見えないが、神はご自身のご計画を着々と進めてお
られる。神に間違いはない。信じていよう。困難な状況の中で、心を平安に守っ
て下さる。

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試練の渦中では、全体像が見えないので、わけがわからないが、今まで導いて下
さった主に、間違いは無い。後の日に、パズルがつながるように、教えようとし
て下さったことが、意図が見えて来る。主に望みをおいて、信じていたい。