2011年11月06日(日)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなこ とはありません」ガラテヤ5:16



御霊に導かれて、御霊の支配の中で生きる時、私たちは自由で、喜びがあり、感
謝がある。しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、信仰生活は、非常に
窮屈になる。重い荷をずっしり背負うように苦しい。心に自由がなく、塞がれる。

常に神に要求されていると感じる。一タラント預かったしもべのように、神が過
酷な方で、蒔かないところから刈り取る、厳しい方だと思う。主が恐ろしい方に
なり、主に従う事が辛い事になる。そこに喜びなど全く無い。

今、私たちはどうだろう。辛い信仰生活だろうか。苦しくしんどいなら、どこか
がおかしい。自力で頑張っているかも知れない。妬みや憎しみ、怒りが湧き上が
る時、これは良くない事と、心に抑え込むだろうか。抑え込んだものは、無くな
るのでなく、ずっとそこにある。許容量越えると、いつか爆発する。

これは良くない思いと、抑え込むのでなく、「怒っています、妬んでいます、憎
んでいます。誰にも言えないこの思いを、あなたはご存じです」と一つ一つ、主
に告げる事が大切だ。隠さず、ごまかさず、無いことにせず、主に言い表して行
く。

その時、主が助けて下さる。絶えず主を呼び、言い表わし悔い改め、助けを求め
て行く時、その思いが消えて行く。思いが来た時、「主よ」と主を呼び求めよう。

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建前でなく、心底の本音を主に告げた時に、心からの平安を経験する。受け入れ
られていて、主とひとつだと思える。本当の自分ではないきれい事を言っていて
も、それは自分では無いのだから、主もどうする事もお出来にならない。底の気
持ちを主に告げて行こう。