2011年12月05日(月) 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなっ た助けを受けるために、大胆に恵みの御坐に近づこうではありませんか」ヘブル 4:16
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなっ た助けを受けるために、大胆に恵みの御坐に近づこうではありませんか」ヘブル 4:16
新生して以来、私たちは古い性質と新しい性質が、いつも戦っている。霊と肉の 戦いにあり、再臨の時に私達のからだは変えられる。それまで私達に肉の弱さが ある事を主はご存じだ。この肉体は往々にして、疲れ果てるし、病気にもなる。 主は肉体をとって地上に来られたので、この事をわかって下さっている。主は、 あなたの弱さをご存じだ。良き理解者だ。そして、主のゆえにいつでも恵みの御 坐に行く事ができる。 私達は力と勢いに溢れている時は、主のために働き、主に近いと感じる。逆に弱 さを覚え、無力の時は、主を遠く感じる事が無いだろうか。「お前のような役に 立たない者はだめだ」サタンの声が聞こえて来そうだ。「何度同じ失敗を繰り返 すのか」「成長していない、やっぱりだめだ」その声に乗ってしまうと、ますま す主から離れる。 御言葉はどう言っているだろう。恵みの御坐に近づける根源は「あわれみを受 け」「恵みをいただいて」とあり、「あわれみ」と「恵み」だ。自分の功績には いっさいよらない。主からの一方的な愛顧であり、プレゼントだ。主のあわれみ と恵みがあるので、どんなに破れ果てた状態でも、御前に行ける。 これを信じるなら、「聞いたみことばが信仰によって結びつけられ」どんな状態 でも恵みの御坐に行く。そして新たにされる。御言葉を信じて、絶えず恵みの御 座へ行こう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 肉の性質は、絶えず自分で何とかしようとする。主に頼らない。失敗した時も、 自分でどうにかしようとし、主に頼らないで、ますます主を離れてしまう。あわ れみを受け、恵みを頂いている。いつも大胆に主の御座に行こう。主の血潮のゆ えに絶えず受け入れられている。