2012年02月05日(日)

「しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:21

 

「わたしは世の光です」と言われた主は、光として、この世に来られた。世を照
らし、「すべての人を照らすまことの光」は、私たちの人生を照らし、私たちの
心を照らし出される。

主が光であり、光が輝いているので、私たちは見ようとするなら、くまなく照ら
す光に、自分の姿が見え、心の内が見え、何をどうすればよいのかが見える。見
えるので、何をすべきかがわかる。光に自分が照らされている限り、問題無い。

罪が見えるので、悔い改めることができる。その罪は赦され、きよめられる。恵
みのまっただ中だ。もし、見ようとするならだ。そして、主は光の方に来ること
を望んでおられる。

問題は、光があるのに、光を避けて、見ようとしないことだ。見たくないがため
に目を閉じる。光があるに関わらず、自分が目を閉じるなら、真っ暗闇だ。光の
まっただ中にいて、自分で暗闇を作っている。真っ昼間に、目を閉じて、暗闇だ
と言ってるようなものだ。

目を閉じるなら、神が見えず、自分の姿も見えない。目を閉じるのは、自分に都
合が悪く、自分の思いを通したいためだ。だから、光から逃げている。しかし、
そこにあるのは暗闇だ。不平不満、怒り、思い煩い、憎しみ、妬みの世界だ。

この状態なら、逃げないで、目を開けて主に向き合おう。光に照らされ、悔い改
める事ができ、主の愛に包み込まれていることを知る。

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閉じている目を、開けばよいだけだ。しかし見たくない自分がいる。問題や自分
に向き合うなら、御霊が示しを与えて下さるので、悔い改めたり、祈ったりでき
る。悔い改めるなら赦され、祈りに持って行くなら、答えられる。解決の糸口が
見えて来る。