2012年03月07日(水)

「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく・・このわたしを退けたのだから」Tサムエル8:7


サムエルの息子たちが、「父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた」。それで、民は後継者にと、他国のようにと王を求めた。しかし、民はこの時に祈るべきであった。主に導きを求めることなく、自分たちの思いで、肉の判断、肉の求めをした。

主は、サムエルを通して、人間の王の権利を示し、「あなたがたは王の奴隷となる」と厳しく警告された。しかし、それにも関わらず、自分たちの思いを主張した時、主は王を与えられた。肉の判断は、後に肉の実を刈り取ることになる。主は民が願った通りに、外見的にも素晴らしい人物を選ばれた。若い美しい男性で、彼より美しい者はおらず、誰よりも背も高かった。容姿端麗であり、彼らの願い通りの王だ。

サムエルはサウルに油を注ぎ、王に立てた。サウルに主の霊が激しく下り、預言を始めた。ただ、人間的には良い人物であるが、霊的資質には問題があった。ダビデのような主との個人的親しい関係、主を畏れ、主を愛し、悔い改め、従う、そのような主への心が見られない。権力の座に座った時に、その弱さが少しづつ現れ、芽吹き、高ぶって行ってしまった。

サウル自身にも王がいて、ひれ伏し、従う者である事を忘れ、欲しいままに振る舞って行った。自分の思いを押し通すのではなく、主が何を願っておられるのか、その視点に絶えず立つことの大切さを学ぶ。
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強い思いが先立つ時、主を退け自分で動いてしまう。主はいつも警告していて下さっている。肉で動きイライラしている時、軸がぶれていないか傲慢になっていないか、交わりの中で主の御心を聞いていこう。