2012年04月06日(金)

「もし肉に従って生きるなら、あなたがは死ぬのです。しかし、もし、御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13

          

信仰者だからといって、必ずしも品行方正なわけではない。つい、わがままに、自己中心になる。又、立派なノンクリスチャンが多々いる。優しく、穏やかで、善行に励む人々がいる。しかし、大事な事は、人の前に、人の間に、どうかではない。勿論、人との比較ではない。神の御前に、自らがどうかという事だ。一番大切な事は、神との関係であり、神の御前に生きたかどうかだ。

一見クリスチャンらしく見えずとも、もし、その人が神の御前に、生きているなら、御霊に導かれている。そして、主は、その生涯を通して、キリストに似た者と変えて行って下さる。パウロは「もし肉に従って生きるなら、死ぬ」と言っているが、肉に従って生きる事も、御霊に従って生きる事も、自らの選択だ。私たちが、事を行なう時に、その動機を主は見られる。

どんな動機から出た行動なのか。何に導かれてその事をしているのか。主のためなのか、自分のためなのか、主の栄光か、自分の賞賛、自分が褒められたいのか、自分のための行ないなら、霊的死だと。

「御霊によってからだの行ないを殺す」とは、自分の力で罪と戦うのではなく、御霊によって心を満たされる事が、肉の思いから解放されて行く道だと。御霊に自分を明け渡す時に、御霊が支配される。その時、御霊が働き、主を愛する心を下さる。
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心の一番奥深い思いや行いの動機が御霊によるものだろうか。何を見て生きているだろうか。神様に従って生きたいと思う者でありさえすれば、不必要なものは砕かれる。御霊が豊かに働いて下さる者になりたい。