2012年05月07日(月) 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6
今も心配事があるだろうか。次々と問題は起きて、心配事を抱える。親子、夫婦、家族の問題、対人関係の悩み、仕事、進路、経済的問題、様々な悩みで思い煩う。しかし、主は「思い煩うな」と言われる。何も思い煩うなと。心配無用と。なぜ無用なのか。思い煩ったところで何一つ変わらないし、何をも成し遂げない。 「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができるか」の通りだ。心が真っ暗になり、落ち込む事で、何かを変える事ができるのか。思い煩いは有害無益だ。又、思い煩いは、実際より、物事を巨人のように大きくしてしまう。冷静に対処するなら、乗り越えて行ける事態が、恐れで、パニックに陥ってしまう。 カナン視察の後、ヨシュアとカレブは、大丈夫だ、占領できる、前進しようと言ったが、民は恐れて怯えて、泣き伏した。その心配事は、絶えず脳裏に浮かび、それを受け入れ続けていると、不安と恐れの要塞を築き、それを尚も強固にし、モンスターにしてしまう。自分がそうしている。モンスターにはとても打ち勝てず、不信仰に陥る。 しかし、それは現実、実際とは異なる。想像上のモンスターであり、自らが描く最悪のシナリオは成ったためしがない。「あらゆる場合に」「祈りと願い事によって」その不安、あの思い煩い、この恐れ、主に知って頂き、主に渡そう。ことごとくを、主に告げよう。「そうすれば」神の平安が心に臨む。 ---------- 不安や心配が心に来たら、すぐに祈りに持って行こう。神に告げて行く中で、思い煩いは徐々に薄れ、神の平安に変えられる。思い煩いの声はまたすぐに来るが、いつまでも会話しないよう、すぐに主に渡そう。