2012年06月06日(水)

「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか」箴言20:24


オリンピック選手や、又、私たちの入試や就職試験等は、どんなに緊張するだろう。平素これ以上出来ないほどの準備をしても、その成果が確実に出せるとは限らない。当日の体調や、精神状態に大きく左右され、又、不意の状況が起こるかも知れない。オリンピックなど、余りの緊張からミスをし、本番で実力が発揮出来ない選手も少なくない。

練習量や、自分の精神力だけではどうにもならない事を目の当たりに見せられる。人の歩みは、まさに主によって定められる。主と共に歩み、そこに主を認める事のできる私達は何と幸いだろう。

私たちの進学、就職等の進路、目の前に起こる出来事、状況、それらはすべて主が定めて下さったものだ。それを、主が定められたものと受け入れる時、揺るぎない平安と確信を持って進むことができる。又、今後も、主は私たちの手を取り、御心の道へと導いて下さる。

それを妨げるのが、自分の肉の思いだ。自分の欲があり、その思いは非常に強い。自分の歩みは、自分で決めたい。自分のプランがあり、どうしても手放したくない。強い自我がある。神は、あなたに、すでに最善の道を用意しておられる。

自分のプランを明け渡す時に、幸せの道へと導かれる。握って放せないなら「放せません」と、まず自らの状態を認めて祈ろう。あるがまま、出来ませんと祈る時、出来るようにして下さる。
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主が与えて下さった人生だと受け取れなければ、人生は安心と不安の繰り返しだ。自分で切り開く人生はいつも安定しない。納得できない、わからない、不安です、けれど主よ平安を下さい!とすべてを祈り、委ねていよう。