2012年07月07日(土)

「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者がくちづけして もてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。」箴言27:5 



時に、真っ直ぐに、はっきりと語ることは大切であり、御心だ。言いにくい厳し
い事も、もし御霊に示されるなら、明確に、相手に語る必要がある場合がある。
人は、何となく気づいている触れられたくない所を指摘されると、怒るものだ。
腹を立てる。痛いからだ。本質を突かれると、非常に痛い。

主は、人を砕き、造り変えるために、時に人の言葉を用いられる。忠告を素直に
受け入れて、それを相手を通して語られている、神からのものと、受け入れるな
ら、その人は変えられて行く。

ある人が、主に在る友に忠告するように、御霊から示された。そのままでは道を
それてしまう。しかし、聞き入れられるのだろうか。間違いなく相手には痛い。
祈って、祈って、祈りを積んだ上で、その友の間違っている点を指摘した。する
と、案の定、相手にとれば非常に痛い急所であり、受け入れられず、激怒した。
その反応も予想できたので、続けて祈っていた。

しかし翌日、感謝の連絡を受けた。痛くて腹を立てていたが、やはりその言葉を
ずっと考えた。そういう事を言うと相手に嫌われる事がわかっていて、尚且つ言
ってくれた、その真実と愛情に思いが至った。主の御前に悔い改め、軌道修正で
きた。友に感謝でならなかった。御霊が導かれるなら、従おう。又、逆に、忠告
を受けたなら聞く耳を持とう。

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御霊から自分自身に示される警告は、愛によるものだ。愛でなければ放っておか
れる。御霊に示されたなら、悔い改めよう。又、時に人を用いられる。間違いを
指摘されたなら、へりくだって、心よく探り受け止めよう。成長へと導かれる。