2012年09月03日(月)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3


ある人がクリスチャンとして、学校で証しを祈っていた。クラブの部長になり懸命にクラブ員のために労した。そんな中、体調崩し、入院となり、退院後もしばらく治療に通院する事に。皆に迷惑をかけるので、一旦部長を辞退し、代わってもらった。やがて、身体も回復し、活動に復帰できるようなった。

クラブに戻った時に、ザワつく自分の心を認めざるを得なかった。皆が、新しい部長と和気あいあいとやっていて、今まで自分の所に相談に来ていた人たちが、皆そちらに行っていた。こんなはずではない思いが出て来る。妬みと寂しさでいっぱいになり、孤独感で落ち込んだ。

何も無い時にはわからなかったが、自分は嫉妬深く、プライドが高く、虚栄心が強く、いかに自我が強いかを思い知らされた。それまでは自分は、他人を思いやれる、良い子だと信じ込んでいた。主の御前にことごとく打ち明け、悔い改めた。そして自分自身を明け渡した。その時、今まで感じた事のない、平安が心いっぱいに広がった。初めて真の平安を知った。

喜びが来て、主を第一にして生きて行きたいと思った。自分自身が新たにされ、主に従いたいと思え、病も、これらすべての事も感謝できた。新部長の良き助けになり、支えて行きたいと心から思えた。何と心が変えられた事だろう。その事がまた感謝であった。
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主がへりくだられたように自分も主に従って生きたいと思うとき、邪魔になる大きな自我がある。様々な取り扱いの中で主が示してくださる自我を逃げずに認め、主に渡し、主に習うものになりたい。