2012年10月07日(日)

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに 与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているから です」ローマ5:5



今の世は、希望が持てない時代だ。人々は、希望は失望に終わるも
のと思っている。歳を重ねるほど、希望のはかなさを経験する。
「失望に終わることのない希望」など考えられない。

片や、私たちも、自分の思い通りにならない経験を何度もしたので
はないか。この進路に進みたいと願うが、目の前で閉ざされる。プ
ランを練って始めたつもりが、途中でどういうわけか頓挫してしま
う。この事がしたいのに、どうしても道が開かれない。

又、突然の不意の出来事に「どうしてこんな事が」と、全くわけが
わからない。数々の思い通りにならない事態を通る。しかし、どう
だろう。振り返ってみる時に、自分の強い願いが叶わない時には、
もう先が無く、真っ暗に感じてしまうが、年月を経る時に、叶わな
くて良かったと思える。これで良かったのだと。

願い通りになれば、全く別の方向に進んでいて、今の恵みや祝福、
幸せは無かったと。試みを通して、主との深い交わりを得、祈りを
知り、真に御言葉の力を味わった。そして、人生、自分の思い通り
ではなく、主の思い通りに歩んでいる事の確信は、何と喜びだろう。

希望は失望に終わる事がない。それは、神の愛が注がれているから
だ。だから、深い悲しみや、痛みの中に、尚も希望を見い出して行
ける。患難を喜べるのも、神の愛のゆえだ。この神の愛があなたの
心に注がれている。

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思い通りにならかった事を通って、そこでこそ主の深いご愛や配慮、
慈しみを知った。痛みを通して、順風の時には決して味わえない、
主との深い交わりを経験した。主を味わった。主の愛があった。こ
れは何にも代えられない、代えたくない恵みだ。この事のゆえに通
って良かったと、心から思える。