2012年11月05日(月)

「マルタ、マルタ、あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことは・・一つだけです」ルカ10:41


マルタは、主をもてなすべく、ありとあらゆる準備をしていたが、余りの忙しさに、イライラピリピリして来た。一方、マリヤはというと、主の前でじっと座っている。マリヤは一心に主が語られる御言葉に耳を傾けていた。マルタは、何もしていないマリヤを見た時に、腹立ちと裁く思いが出て来る。主に訴え「妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのか」そして主に指図する。「私を手伝うように、妹におっしゃって下さい」と。

しかし主は、マリヤはどうしても必要な一つのものを選んでいる。彼女からそれを取り上げてはならないと、マリヤのしている事を認められた。マルタは主のための尊い奉仕をしていたが、いつしか、主のためではなく、自分の事でいっぱいになっていた。心は主にではなく、自分に向いていた。自分軸になるので、状況しか見えない。

目の前におられる主が見えなくなっていた。平安と喜びが失せ、焦り、いら立ち、思い煩いで一杯だった。「あなたは色々な事を心配して、気を使っています」。イライラする時、人も状況も関係無い。自分の問題だ。自分が主にとどまらずに、自分の思いと自分の力で動き回っている。平安が失せた時は、心のイライラ、怒り、焦り、思い煩いをそのまま、主のもとに行き、ことごとく告げよう。主の平安と交換して下さる。
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自分が納得できる事が一番で、主の御心は二の次、三の次ぎとなっていないだろうか。自分にとってどうしても必要なことは何か、平安がない時は主の元に行き主に尋ねてみよう。