2012年12月07日(金)

「『あなたはどなたですか』・・彼は告白して否まず、『私はキリストではありません』と言明した」ヨハネ1:20



ユダヤ人たちが、祭司長やレビ人を遣わし「あなたはどなたか」と問わせた。バプテスマのヨハネが、キリストか?と思った人々がいた。しかし、ヨハネは、自分はキリストではないと、明言した。彼は人々が主を信じるために、道を整え、主のもとに導くという、自分の役割をよく理解していた。その使命を果たす事で、主の栄光を現わした。

謙遜とは、自分の位置と役割を心得ることだ。ヨハネは、自分をわきまえていたので、自分の立ち位置を守り、そして、自分の役割に心から満足していた。人は、自分に賞賛が向く時、どうしても、栄光を自分が奪ってしまう。人からの賞賛は大きな誘惑であり、肉はその誘惑に勝てない。しかしヨハネは、弟子たちが、主に嫉妬心を抱いた時に「人は天から与えられるのでなければ、何も受ける事はできない。主は盛んになられ、自分は衰えなければならない」と言った。

人が、自分より大いに用いられていたら、どうだろう。妬みの誘惑が来るだろうか。しかし、ヨハネは主が盛んになられ、自分が衰えることを受け入れていた。自分の使命を成し遂げる事に、喜びを見い出していたからだ。なぜなら、ヨハネは主に愛され、「ヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」と主から認められていた。私たちもすでに主から愛され、認められている。それゆえ、自分の場で自分の役割を果たして行くこと、そこから喜びと満足が来る。
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神様は愛と慈しみを持って私を見ていて下さる。羨望や妬みで人を見てしまいそうな時、愛されている自分に感謝し、自分にしか出来ない事に思いを向けたい。