2013年01月07日(月)

「そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった」マタイ20:9


収穫期のぶどう園で働くための、労務者が、早朝、9時、12時、3時、5時と順次雇われた。早朝の者だけ1日1デナリの契約がなされ、9時以降の者は「相当のもの」を出すからと。そして、1日の労働が終わった時に、5時の者から順に、それぞれ1デナリが支払われた。

1デナリは当時の1日分の給料だ。5時の者たちは驚いた事だろう。ほんの少ししか働いていないのに、丸々1日分貰えた。しかし、早朝の者は怒りがおさまらない。憤慨して、主人に文句をつけた。「1日中労苦と焼ける暑さを辛抱した」と。それが同じ賃金とは不公平だと。自分たちは辛く苦しかったと言ったが、別の面から見れば、早朝からきちんと1日分の報酬が確約されていた。賃金を家族に持って帰れる。家族の喜ぶ顔が浮かんだ事だろう。

又早朝から雇われたからには強健な人々だったかも知れない。ところが5時の人々はどうだろう。怠けていたのではなく、働きたいが、ずっと雇って貰えなかった。身体が弱そうだったのかも知れない。夕刻になるのにその日の糧が無い。家族はどんなに落胆するだろう。その心中の心細さ、不安、恐れを抱えて夕方まで過ごした事になる。

私たちも5時の者だ。罪ゆえに滅びて当然の者が、一方的な主のあわれみによって救いに入れられた。値しない者に、何と驚くべき恵み、一方的な厚意だろう。感謝しかない。
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自分の思い通りの信仰生活が送れていると思う時、たかぶりと共に気分はすっかり早朝からの者になる。心細く、ふらふらと迷い、神様のあわれみに守られている者であることをいつも覚えていたい。