2013年02月03日(日) 「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みこと ばに聞き入っていた」ルカ19:42
「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みこと ばに聞き入っていた」ルカ19:42
マルタは、主の訪問に大喜びで、大歓迎で、美味しい食事をと準備 に大わらわであった。マリヤも同じように、大歓迎で、主の足もと に座り、御言葉に聞き入った。 段々時刻も迫って来る中、てんてこ舞いのマルタは、ついに不満が 爆発する。自分はこんなに忙しいのに、何もしていないマリヤに腹 が立つ。それを許している主にまで、腹立ちが向かうことになる。 ましてや、自分を手伝うようマリヤに言うようにと、主に指図まで する。マルタはどこで間違ったのか。もてなしが悪いのではない。 誰かがしなければならない、必要で大切な奉仕だ。主はそのもてな しを喜んで下さる。 しかし、マルタは、主をお喜ばせしたいと願ったが、それを自分の 思いで、自分の方法で行なった。自分の強い思いがあり、何もかも を自分の思い通りにしたい。それなら、自分が主の上に立ってしま っている。 私たちも、時々間違ってしまう。主に従おうとしているし、主を喜 ばせたいと思っているので、気づかないが、あくまでも、自分が良 かれと思う思いによってだ。それなら、自分中心に、主を喜ばせよ うとし、自己満足になってしまう。 主は「どうしても必要なことは、一つだけ、マリヤはその良い方を 選んだ」と言われたが、「主に聞く」これが第一だ。自分の思いと 方法で、主のために働くのでなく、「主に聞いて」その通りに、従 うことが大切だ。 ・・・・・・・・・・・ 主がお喜びになる事と、主が喜ばれるであろうと、自分が思う事と は別だ。自分の思いが上に立ってしまい、方向違いになってしまう。 主の言われる事によく耳を傾けて、その通りに従って行けるよう、 祈ろう。まず耳を傾けない限り、わからない。