2013年03月07日(木)

「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」ローマ8:9


私たちの肉の性質は、寒暖計のごとく相手に反応する。相手が自分にしたように、自分も相手に対してする。つまり、敵対して来る相手には、敵対し、批判する相手を批判し、冷たい相手には、冷ややかだ。そして、親切な相手には親切で返し、愛してくれる相手は愛する。これでは相手に依存してしまっている。自分の行動が相手次第になり、相手に左右され、それでは自分が無い。又、自分が無いと、相手によって、シーソのように自分がアップダウンしてしまう。

ある人が、病気で入院していた。そこに、自分と同じ病状の若者が入って来た。辛い気持ちがわかるので、励ましたいと交わりを持った。幸いな交流が続いた。ところが日の経過と共に、若者は、どんどん回復して行った。自分は回復のめどは無い。その時、こんなはずではない気持ちが生じた。寂しさを感じ、羨望と、妬みが湧いた。彼の回復を、自分も願っていたのに、取り残されたように、寂しく妬ましくて喜べない。喜ぶ者と共に喜べない。自分の正直な姿だった。

人の幸せを喜べず、人が不幸だと安堵している自分。人が幸福になると、自分は惨めな気持ちになる。自分は変わらないのに、人によって幸せになったり、不幸になったりする。こんな虚しい人依存ではなく、御霊によって生きて行きたいと強く思った。主と交わり、心の内をすべて打ち明け、自分自身を明け渡した。心に平安が来た、自分はできないが、御霊が助けて下さるので、一つ一つ従って行こうと思えた。
-----------
肉に反応してもその度に、変わらず導き返して下さる御霊の声を聞いて行きたい。ころころろ変わる相手の反応にあわせて不確かな歩みへと向かわぬよう、主しっかりと付いていよう。