2013年05月07日(火)

「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え・・夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1




ある人が、神学校を卒業し、田舎伝道を志し、高齢になった牧師の教会を引き継いだ。まだ若く、経験も全く無く、熟年の人々を導くのは難しかった。する事がことごとく、うまく行かず、信頼関係がなかなか築けなかった。ある問題が起きた時、皆の意見がバラバラであり、対立し、争いとなってしまった。苦しい、辛い日々であった。自分の未熟さのせいと、自分を責めた。どうしてよいかわからなかった。そんな中、中心的な人物が去り、皆が大きな打撃を受けた。それに続く人々も出た。

状況もどうにもならず、ますます悪循環になるばかりだった。まさしく窮地であった。落ち込んで、気力も失せて行った。鬱ではないかと思うほどに、何をする気にもなれなかった。御言葉を読む気力も無く、ぼうっ〜と日を過ごしていた。家族や友人たちが、心配し、ずっと祈り続けてくれていた。祈るともなく、嘆きか、祈りかわからないような中で、心に語りかけて来る御声を聞いた。

「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え」。「子を産まない不妊の女よ」、まさに自分のことだった。その通りであった。だが、「喜び歌え」と言われる。「あなたの天幕の場所を広げ・・」「あなたは右と左にふえ広がり・・」と。沈んだ心に、「喜び歌え」との御言葉は、ふっと目を上げることができた。御霊の力だった。そこから再び立ち上がって行くことができた。周囲の執り成しに感謝した。どんなどん底でも、主は引き上げて下さる。
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苦しみのどん底にあって、ただじっとしているしかない時もある。嘆きやうめきを祈りに持って行きつつ、少しでも光がさす方へ顔を向けてみよう。自分の感情ではあり得ない「喜び歌え」の御言葉を神様は用意していて下さる。