2013年08月07日(水)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17



人は思うようにならないと、環境のせいにし、人のせいにしてしまう。自分を見なくて済むからだ。親が悪い、社会が悪い、職場が悪い、学校が悪い。しかし、問題の無い環境などあり得ない。完全な社会は無いし、完全な親などいない。どこにいても、必ず何かしらの問題がある。環境を責めていれば、自分に向かなくて済む。自分を掘り下げて行くのは、痛みを伴う。親を責めていれば、楽だ。

しかし、どう逃げ回っても、つけは必ず回ってくる。現実にしっかり向き合い、自分に向き合う事だ。確かに環境は悪いし、親も間違うが、では、自分に問題は全く無いのか。神が見ておられるように、見せて下さいと祈ろう。今まで決して気づかなかった、自分のプライド、虚栄心、妬み、隠れた高慢、自我に気づくかも知れない。

又、自分には、人に知られたくない弱さがある。決して認めたくないが、それらを、主の御前で認めて行くことが解決の道だ。認めて初めて、主のみわざが始まり、自分自身が変えられて行く。成長させられて行く。相手のせい、環境のせいにしている限り、自分の本当の姿が全く見えない。それならいつまでも、何かあると人のせいにし、責任転嫁して行く一生だ。思い通りにならなければ、店の前でひっくり返って大泣きする幼児のようなクリスチャンのままだ。御霊は心の内を照らし出し、成長へと導いて下さる。
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なぜ平安になれなのだろう、なぜいつも裁いてしまうのだろう、受け入れられないのだろうと、変わりたいですの思いで、神様に取り扱われているところを尋ねていこう。次の祈りの課題を示して下さる。