2013年09月05日(木)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34 


人間はどうしてもネガティブに向かう。心配が来ると、不安や恐れに飲み込まれてしまう。不安は不安を呼び、幾ら大丈夫だと思い込もうとしても、不安が泉のごとく湧き上がる。あなたも経験があるだろうか。周囲から、大丈夫だからと慰められ励まされても、どうしてもだめなのだ。自分でわかっているのだが、どうにもならない。

主はそれもご存じで、明日はとにかく置いておいて、この日、「今日」を考えてごらんと言っておられる。今、何か不足があるか?今、とりあえず飢えていない、身体も守られている、今日の必要は与えられている。そして、常に、「今日」は、目の前の必要が与えられている事に気づかないだろうか。その「今日」の連続が一生だ。

果てしない明日を心配し恐れるより、今日、満たされている事に感謝してはどうだろう。その感謝は、信仰と喜びを引き寄せる。感謝する時、視点が神に向く。その時、平安が戻る。「明日」が目の前に来る時には、常に「今日」に名前が変わっている。だから、永遠に「今日」があるばかりだ。今、感謝しよう。

ある婦人は、経済的に厳しい状態にあり、身体も弱く、仕事もあったり無かっりだ。しかし、御言葉の通りだと思い、今、感謝する事を始めた。今日、飢えていない。今日、身体は守られている、今日、仕事がある。感謝していると、不思議が起きて、心に喜びが溢れ、全き平安に守られた。思い煩いが失せて、主の平安を経験した。ずっと感謝を献げ、その平安に守られ続けている。
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感謝する時には主を見あげている。今を感謝し続け主の平安の中にとどまっていたい。先のことの心配、今の不安は来るが、今を感謝し、主を待ち望む希望に変えられて行きたい。