2013年11月06日(水)

「もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して『・・積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと考えます』」使徒27:10 



パウロがローマへ護送される途上、船はクレテの良い港に着いた。そこで人々は、この港よりもっと良いピニクスまで進んで、そこで冬を越そうとの意見だった。しかし、パウロは、祈りの中で示され、この航海は危険であり、命にまで危害が及ぶと強く反対した。「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した」人々はパウロの言葉を信じず、決定権を持つ百人隊長もパウロより経験深い航海士や船長の言う事を信用した。それで、それに従い出帆した。すると案の定、パウロの言った通りに、暴風に巻き込まれた。

私たちも信仰生活で、常に二つの声が聞こえて来る。二つの思いがふつふつと湧き上がる。一つは御言葉を通して、聞こえて来る神の御声であり、もう一つは自分の経験や知識、自分の思い、判断から聞こえて来る肉の声だ。それは世の価値観に基づいていて、見えるところから判断する声だ。背後でサタンが働いている。結局のところ、どちらの声を選択するかにかかっている。

彼らは暴風に会い、なすすべなく積荷を捨て、船具も捨て、助かる最後の望みも絶たれようとしていた。その時、人々は初めてパウロの言葉に思いが至った。パウロは「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じている」と人々を励まし、紆余曲折の末、彼らは全員まさにパウロの言葉の通りに助かった。今、あなたも自分の思いに傾いているなら、聞くべきは神の御声だ。
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神様は必ず御心を成される。自分のタイミング、自分の思い入れを主に渡し、主に信頼して落ち着いていよう。パウロのように嵐に連れ出されても、主に尋ね耳を傾けるなら主はいつも導きを与えて下さる。