2014年01月07日(火)

「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち・・何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:2




中世は天動説だったため、惑星の軌道が膨大に複雑で理解不能だった。地動説を打ち立てたのがコペルニクスだ。天動説は地球を中心にして天体の動きを見ていた。だから理解出来なかった。しかし、地動説は、地球は太陽の周囲を回る小惑星だ。地球が宇宙の中心なのではない。そうするとすっきりし説明がついた。

私たちの信仰生活はどうだろう。天動説なら、自分が世界の中心だ。自分を中心に周囲は回っている。そのため様々な悩みと問題を生み、対人関係ではあちこちでトラブルを引き起こす。自らが問題を引き起こしている。自分中心に世界が回っているので、周囲に配慮でなく、周囲を支配し動かそうとする。そこにトラブルが生じる。

うまく行かないと、相手が悪いと信じて疑わない。あの人、この人さえいなければ、人生快適なのに。しかしそれなら地動説だ。相手はいっさい関係なく、問題は自分だ。自分の心の状態の責任は自分にある。まず自分の問題だと認めよう。相手がどうであれ、反応しているのは自分であるからだ。

自分中心をキリスト中心に据え変える時、見方が変わる。相手しか見えなかったのが、御霊の光に照らされて、自らの高慢、自己愛、プライド、嫉妬心、愛の無さが見えて来る。自らを明け渡して、主を中心に据える時、自由にされる。解放され、御霊の喜びを経験する。主が中心、コペルニクス的転換だ。
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一刻も静かにしていない自我から見る不確かな人の動きは、全く理解不能でしかなく、絶えず反応していると落ち着く間もない。心の中心を主に明け渡そう。あのトラブルの本は私にあるのかも知れないと主の導きが聞こえて来る。