2014年02月04日(火)

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい・・いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです」ピリピ2:14  



信仰生活の中で、私達の身に起こること、目の前の出来事は、神の主権によるものだ。「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」(箴言3:6)神の御手から送られて来ている。しばしば対人関係で、悩みや問題が生じる。目に見えるのは、目の前の相手なので、相手が悪い、相手のせいでこうなっている。相手さえいなければ、この悩みは無いのにと思ってしまう。

しかし、その相手が問題なのではない。人と状況しか見えていなければ、対応を誤ってしまう。その背後におられる神を認めるべきだ。環境は神から来ている。その中で、信仰の目を持って見て行く時、必ず神が見えて来る。神は一生を通して、私達を訓練し、鍛えられる。私たちをキリストのかたちに変えて行くためだ。そして、その訓練は環境を通して来る。そこに神を見て行く時、正しく対応できる。自分の問題であり、私を砕こうとされ、教えようとされている。

私達の思いと神の思いは、しばしば大きく異なり、戸惑い、理解できない事もある。しかし、置かれた状況の中で、環境に神を認めて、つぶやかずに、神に従って行く事が大切だ。その時、練られて、御言葉を通し、御霊により、肉の思いから、神の思いへと変えられて行く。神の視点を与えられ、その状況の中で、そこにある神のみ思いを悟って行く。その時、神と思いを一つにされて行く。それが何より一番の大きな祝福だ。
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問題は大きな壁として目の前に立っていても、ここを通る意味が必ずあると、問題の中で見ていて下さっている神様を今日も仰いで行こう。約束のみことばが心を堅く守ってくれる。