2014年03月06日(木)

「神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった・・『民が戦いを見て心が変わり、エジプトに引き返すといけない』・・神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らされた」出エジプト13:17


神が民をエジプトから出された時に、約束の地に導くのに、近道であるペリシテ人の国には行かせず「荒野の道」へ向かわせられた。「民が戦いを見て、心が変わりエジプトに引き返すといけない」からであり、そこに神の配慮があった。長年の奴隷生活で、戦いの訓練も経験も全く無い民が、敵と戦う事など不可能で、恐怖で怯えて、引き返してしまうだろう。

私たちの価値観の中に、楽な道、平らな道、問題の無い道を好み、近道、迅速、早く到達する事、順調が善との思いがないだろうか。苦しい事、困難な事は避けて通りたい。しかし、神は近道ではなく、あえて荒野の、困難な道を通された。神が苦しい道を通されるのだ。神に不可能はない、今すぐに、願っているものを一気に与えて下されば良いのに。長々と時間がかかり、まさに遠回りさせられていると感じる状況がある。

自分の思いと全く違う道を歩ませられる。しかし、そこを通ってこそ、忍耐や信仰が培われ、神の深い愛や慈しみ、真実を経験する。委ねる事を学ばせられる。そこを通らずしてあり得ない。そしてその通り道には、雲の柱火の柱が伴い、進むべき道が示される。

荒野での灼熱の太陽から雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の柱が照らした。その導きは、道中決して「民の前から離れなかった」。今、荒野にいるなら、神を信じ、神に従って歩もう。雲の柱、火の柱で、片時も離れず共におられ、導いて下さる。
-----------
私達には何が近道で最善な道か見極めることは出来ない。神が門を開いたり閉じたりして通される道がみな最善の道だ。そこはあえての荒野かもしれないが、神は共にいて下さっている、信じていこう。