2014年04月05日(土)

「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わ たしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう」詩篇32:8



「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者にも悟
りを与えます」とあるが、悟りというのは、単に理屈でわかる、頭
での理解でなく、その人自身を、生活を変えて行く気づきのことだ。

頭でわかったというだけでなく、実践が伴って行く。行動して行く
ことだ。ずっと毎週メッセージを聞き、長い間、聖書の学びをして
いると、必ず聖書知識も増えて来て、どうしなければならないか、
どうすべきかは、よくわかる。
しかし、自分自身はなかなか変わらない。それが、頭だけでしかわ
からなかった事が、信仰の目で見えて、捕らえるようにされる。

目が開かれて、違った見方で物事を見るようになる。パウロは、と
げによる激しい苦痛のために、取り去られることを、懸命に祈った。
しかし、とげは取り去られず、「わたしの恵みは、あなたに十分で
ある」と語られ、そのとげが、恵みとされた。光が射し込み、同じ
とげに、新しい理解が与えられた。「わたしの力は、弱さのうちに
完全に現われる」と。

パウロは悟りを与えられ、弱さを誇ることができた。「キリストの
力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょ
う」現実は何も変わらないが、パウロは平安と喜びが与えられた。
自分の思い通りにはならなかったが、更に良いものを与えられた

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どうしてこんな事が、との事態が起きる時には、よくよく祈って行
こう。主に心の思いを吐き出し、打ち明け、主と、とことん交わろ
う。その中で御霊が導き、御言葉を解き明かし、教えて行って下さ
る。状況は変わらない中で、心は平安へと変えられて行く。