2014年05月07日(水)

「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました」詩篇6:6




ダビデは、嘆きに嘆いている。涙は止まらず、衰え、弱っていると。疲れ果て、弱り果てた姿をそのまま出している。クリスチャンとはいつも笑顔で、ニコニコしていなければならないと思っていたら、ほど遠い姿だ。しかし、ここではダビデは率直に、素直に、自分の感情や思いを言い表している。何の問題も無い振りをしてはいない。大丈夫な振りもしていない。

他の箇所でも、ダビデは焦り、つぶやき、思い煩い、心配、不安、不満、悲しみ、苦しみ、すべてを隠さずに、気持ちを押し込めずに、無い振りをせずに、率直に、主に告げている。その後「主は私の泣く声を聞かれた」「主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられた」と確信に変わっている。ダビデは、気持ちの何もかもを打ち明け、吐き出し、告げて、訴えている。そこに、主への深い信頼があるからだ。

信頼していない相手に、まず気持ちを打ち明けることはない。受け入れられ、受け止められると信じるから、訴え、告げ、願って行く。心の底の思いを、誰にも言えない思いを、主に告げて行く時、重い、苦しい、辛い心が、平安に変えられて行く。状況は変わらずとも、心が平安になる。そして、主との交わりが深められ、信頼関係がますます深められて行く。今、心が重く、ふさぎ、苦しいなら、その心の内を主にことごとく告げよう。心が平安にされる不思議を経験して行く。
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心の奥の深いところを知っていて下さるのは主だけだ。主に告げて行く時、本当の自分の姿も示され、主の御心に導かれて行く。嬉しい時、苦しい時、ありのままの姿で主と交わり続けよう。