2014年10月07日(火) 「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた」ルカ15:28
「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた」ルカ15:28
放とうしていた弟息子が、我に返って、父のもとに戻って来た。父 は大喜びで、まだ家までは遠かったのに、彼を見つけ、走り寄って、 彼を抱き口づけした。「かわいそうに思い」あわれみで、父の心は 沸き返っていた。心身ぼろぼろになって戻った息子を抱きしめて、 喜び祝おうと宴会を開いた。 「死んでいたのが生き返り」放とうしていた間のことを、その挫折 と孤独、うちひしがれた心の状態を理解していた。父の心は愛と慈 しみで溢れていた。しかし、兄息子は、行方不明の弟が戻った事を 喜ぶどころか、怒りが湧いた。怒って、家に入ろうともしなかった。 放とうざんまいして、帰って来て、宴会を開くとは、と抗議する。 兄は「私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません」 自分を義とし、身をもち崩した弟を見下し、受け入れようとしない。 兄は父と一緒にいるが、その心には愛も喜びも平安も無かった。距 離的にはすぐ近くにいるが、その心は遠く離れ、感謝も満足も無く、 欲求不満といら立ちと、裁く思いでいっぱいだった。 実は兄の方が更に深刻な問題児だ。しかし父は、そう言う兄を全く 責めることなく、なだめている。「お前はいつも私と一緒にいる。 私のものは、全部お前のものだ」と兄をどんなにか愛し慈しんでい る。主に仕える事が義務になり、しんどい事になっているなら、今 一度、父の深い愛に立ち返りたい。 ------------- 良い者できる者を愛してくれる父だと頑張っていた兄は、父に愛さ れて当然だと思っていたことだろう。何の働きもない不敬虔なもの を義としてくださると信じる者を御父は喜んでくださる。