2015年02月04日(水) 「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません」マタイ14:17
「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません」マタイ14:17
私たちに、諦め思考、マイナス思考が無いだろうか。「私ごときが 少しぐらい証ししても何になる、何も変わりはしない」「こんな微 々たる献金は焼け石に水で、何の足しにもならない」「私が、少し ぐらい祈っても無駄だ。何の力にもならない」「こんな微力の祈り が聞かれるわけない」「どうせ、私一人などが何かをしても、何の 役にも立ちはしない」「こんなに大勢の未信者の中で、私一人で何 ができよう」ふっと心に湧いて来ないか。 サタンがささやいている。「無駄だ」「何になる」「何の役にも立 たない」あの少年の5つのパンと2匹の魚、幼稚園のお弁当ぐらい の微々たるものを、こんなもの何になると、主のもとへ持って行か なければ、どうだろう。少年は奇跡を目の当たりにし、又、自分が 用いられるという大きな喜びを経験できなかった、又、皆もこの奇 跡を見る事は出来なかった。 神は全能の力を持っておられる。「パンが5つと魚二匹・・ほかあ りません」「それをここに持って来なさい」これが何になろう、そ の微々たるものを、私が何が出来ようと思う、あなた自身を、神の もとへ持って行くなら、献げられたものを用いて奇跡をされる。 神が働かれる。どんなに僅かであろうと、小さかろうと問題でない。 神は祝福され、又、周囲の人々も十分満ち足りて、満腹する。周囲 の祝福の器とされる。あなたも用いて下さる。喜びが満ちる。何を 示されていたら、従おう。 ----------- 自分の手元にあるものだけを見ていると「だめ、無駄」と思えてく る。自分ではなく、主を見ていこう。僅かな物を献げることを主が 喜ばれないことなど、あるだろうか。