2015年06月07日(日)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世 にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8


ある人が、初めて教会へ来た時に「あなたは罪人です」との説明を
受けた。何と失礼な!と、正直、ムッと来た。人一倍、真面目に、
一生懸命に生きて来たつもりだ。それがどうして?しかし、教会で
聖書の学びを続ける内に、その言葉が耳を離れず、心に留まり、
「罪人」ということを考えた。

様々な思いが巡る中で、今まで全く考える事もなく、目にも留まら
なかった、心の内側の事に思いが至った。自分は、福祉の働きをし
ていて、職場で、人々のために、身を粉にして懸命に頑張っている
と思っていた。周囲の皆にもそう思われていた。良い人であり、皆
に感謝されていた。

しかし心の内を見た時に、自分は人に良い人だと思われたい、嫌わ
れたくない、認められたい。それなら目の前の人々のためなどでな
く、自分のためではないか。人々からの賞賛は心地良い。仕事も、
自己実現できて、生き甲斐ある仕事がしたいからだ。それなら自己
満足ではないか。物腰は低く、決して表には出さないが、しかし心
の中では人々を見下している自分、自分が正しいと常に思っている
自分。

御言葉を学ぶ中で、御霊の光が来て、自己中心、高慢、プライド、
虚栄心が示された。御霊の光が無ければ、罪は決してわからない。
こんな事、誰でもしている。当たり前であり、何が悪いのかわから
ない。罪がわかること自体が大きな恵みであり、御霊が力強く働い
て下さっている証拠だ。感謝なことだ。

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御霊によらなければ、霊的な事は何一つわからない。逆に言えば、
示されるという事は何という恵みだろう。御霊に罪が示されたなら
悔い改め、御心を示されたなら、なおざりにせず、無視せず、従お
う。