2015年09月06日(日)

「私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠 しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です」マタイ25 :25



一タラントのしもべが、主人から任されたタラントを地の中に埋め
た。主人を「ひどい方」と言っている。「こわくなったから」地中
に隠したと。しかし、主人の言う通り、銀行に預けておけば、何も
しなくとも利息が入った。実は、このしもべは、このような主人の
ために、何もしたくなかった。

預かった物は、どうしようと自分の勝手で、誰にも干渉させない。
「私が王になるのを望まなかったこの敵ども・・」との態度だ。実は、
主人を望んでいない。このしもべには、主人に対する尊敬や、愛、
主人を喜ばせたいとの心が全く無かった。主人の心が何もわかって
はいなかった。

「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集める」、要求ばか
りされて、奪い取る主人だ。もし一タラントを失いでもしたら、こ
の主人の事だ、どんなに恐ろしい事になるだろう。ただただ自分を
守りたいばかりだ。主人を勘違いしていた。

主人がタラントを任せたそのしもべへの信任、信頼、愛がいかばか
りか。「主人の喜びをともに喜んでくれ」、しもべを喜んでいる主
人だ。もし失敗したとしても、その主人のために商売しようとした
心を見て、許してくれる主人だ。

二と五タラントの者たちはそれを信じていたから、思いきり、喜ん
で、生き生きと自由に賜物を発揮できた。そして、彼らは自分のた
めでなく、主人のために働いた。「〜ねばならない」「〜でなけれ
ば罰を与える」だけの恐い神なら、神観が大きく間違っている。

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タラントを任せて下さっている主のご愛、信任、そこをしっかり覚
えたい。その愛と信頼に応えて、お献げして行く事を、主は見てい
て下さる。「僅かなものに忠実だったから」と「忠実」を見て
おられる。小さな事を真剣に忠実になして行く時、主は喜んで下さ
る。