2015年10月07日(水) 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」Tヨハネ4:10
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」Tヨハネ4:10
相手から、批判や、悪口、カチンと来る言葉や態度を向けられた時、 どうだろう。つい反応してしまい、言い返したり、ムッと不機嫌な 態度になる時がある。又、別の時は、穏やかに受け止める事ができ、 悪で悪を返すのでなく、愛ある態度で対応することができる。その 違いは、多くの人が、心に「余裕」のある時は、そのようにできて、 「余裕」が無い時は、イライラして、即、感情的反応をしてしまう と言う。 あなたもそうだろうか。その「余裕」は御霊の潤いだ。「わたしに とどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」「人 がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、 そういう人は多くの実を結びます」。主にとどまっていることが大 切だ。主にとどまるとは、日ごとに、主と交わりながら生活するこ とだ。主の御声を聞き、主に祈り、主と対話をする。それが祈りの 生活だ。 主との交わりの中にいる時、心に「余裕」がある。主の御声に耳を 傾け、いかに自分が主から愛されているかを知って行くことが重要 だ。現実の生活を通して、主の愛に触れて行く。神からの愛を知る 時に初めて、神を愛し、人を愛して行くことができる。神の愛に触 れて行くと、心が満たされて、「余裕」ができ、人を愛さずにはお れなくなる。人を愛そうと頑張るのでなく、まず神の愛を知って行 くことが大切だ。 ------------ バロメーターは主との交わりだ。狭量になる時、ネガティブになる 時、そのままを祈ると不思議に心が引き上げられる。状況は変わら ないのに心が変わる。主の慰めだ。主に深く愛されている。