2016年01月07日(木)

「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します」詩編6:6




ダビデは、サウルから追われていた。サウルの命を救い、忠実な部
下だったのに、サウルの激しい妬みに会い、命をつけ狙われた。い
つも死と隣り合わせの状態だった。いつ殺されるかも知れないなど
と、どんなに恐怖と不安、苦しい状況だろう。更にサウルだけでな
く、実子のアブシャロムからも歯向かわれ、狙われる。

その上、病気にもなり、もうボロボロで、ダビデは泣くしかなかっ
た。「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべ
なく泣いて泣いて嘆いた。ダビデは信仰者であり、神の心にかなっ
た者と言われている。信仰すれば、悩みが無くなるのではない。主
は必ず試練を与えられる。私たちの信仰を試され、鍛えられる。

苦しみの時は、目の前の問題が無くなる事を願う。ただただ悩みが
去って欲しい。しかし苦しみの時こそ、神が神であられる事を、身
をもって知って行く時だ。ダビデはその嘆きをそのまま神に持って
行った。私たちも、そのまま心にあるものを主に持って行ける。主
は、ありのままを受け止め、心の内を聞いて下さる。

そして、言葉にならない言葉をも理解して下さっている。その叫び
や不安恐れの、その奥にあるものをもわかっていて下さる。主は一
番の理解者だ。主は泣く声を聞かれ、私たち自身を受け入れて下さ
る。心の内にあるものを、主に持って行こう。
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自分の願いを祈る祈りより、辛さ苦しさの中で主に訴えている祈り
の方が、真に主を近くに感じる。主は聞いてくださる。主に語ろう。