2016年02月05日(金)

「私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」詩篇32:5 



ある人が、成育過程で様々な事があり、母親をひどく憎んでいた。
幾ら頑張っても認めてもらえなかった。母親にほめてもらいたくて、
勉強も頑張りに頑張ったが、良い成績を取っても、一度もほめても
らえなかった。心を病んだ時期があり、憎しみは母親に向かった。
クリスチャンになったが、その後もどうしても赦すことができず、
悶々状態が続いた。

しかし、主に出会い、祈りに持って行けた。この苦しみを、絶えず
祈りに持って行った。そんなある時、御霊に示された。母親自身に
確かに問題があり、母親から深い傷も受けたが、それは母親の問題
であり、「赦せないこと」「憎んでいること」は、どれだけ言い訳
してもそれは自分の問題であり、自分の罪だと。自分の罪をはっき
り示された。

今まで、自分は被害者であり、自分は悪くないと、全く気づかなか
った。自分の側で、罪は、罪と認めて、告白し、神の御前に心から
悔い改めた。その時、心の中の重苦しい鉛が溶けて行った。いつも
苦しかった、あの苦しみから解放された。私たちは、苦しい問題が
起きた時に、自分の内側を見たくないので、誰かのせいにしてしま
う。確かに相手にも非があり、そうしている限り、自分を見なくて
済む。

しかしそこには何の解決もない。相手に非があったとしても、それ
は相手と神の関係であって、自分には関係が無い。相手が悪いから
苦しいとずっと思っていたが、そうでなく、自分が「憎しみ」「裁
き」の罪を犯していたから、平安が無かったことに気づかされた。
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相手の罪は主が正しく裁かれる。向き合うのは被害者としての自分
の傷ではなく、憎み裁き続ける罪だと学ぼう。主はすべてをご存知
でいてくださる。真の平安を与えてくださる。