2016年03月07日(月)

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7


私たちの多くは心配症かも知れない。将来がああなったら、こうな
ったら、とまだ見ていない事を心配する。最悪のシナリオを描く。
突然病気になったら・・失業したら・・、事故に会うのでは・・あ
れやこれやと不安に襲われる。思い煩ってしまう。「あなたがたの
思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい神が。

あなたがたのことを心配してくださるからです」とある。思い煩い
を、「いっさい」「全部」委ねよと。主にはご計画があり、最善を
用意していて下さる。しかし、委ねることがなかなかできない。前
の節に「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだ
りなさい」とある。

委ねるために、へりくだりが必要だ。自分の力に頼っているので、
へりくだる事ができない。自分の力が強く、自分の知恵、自分の思
い、判断で何とかしようとしている。そして、自分で出来ると思う。
主に頼らず、主を認めず、自分の力で生きて行くことが「高ぶり」
だ。だから、「御手の下にへりくだりなさい」と。

アダムからの罪は、自分を神とする事だ。自分の思い通りに、自分
の力で生きて行く。そのプライドは、主に委ねることをさせない。
そうであれば、自分の肩にすべてがかかるので、不安でたまらず、
思い煩いでいっぱいだ。高ぶりを認めて、へりくだる時、委ねるこ
とができるようにされる。そして、平安へと導かれる。問題はある
のだが、心は平安にされる。
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自分の判断は間違っていないとの思いから主に明け渡せないのかも
しれない。思い煩いの中に隠れたプライドや高ぶりが隠れていない
か。へりくだり主にお任せしよう。