2016年05月07日(土)

「見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はそ の信仰によって生きる」ハバクク2:4


「高慢」とは、外見の尊大な偉そうな態度と思いがちだが、神では
なく、自分自身を絶対とする態度のことだ。神ではなく、信じるの
は自分だけだ。自分の価値観、自分の考え、自分の感覚を信じてい
る。自分が神となり、自分以外のものは信じない。そうであれば、
自分が変わらなければなどとは、全く思っていない。

多くの人は、自分は有能だが、周囲が認めてくれない、環境が悪い
から成果が上がらないと思っている。環境が悪い、自分を認めない
周囲が悪いとなる。「心のまっすぐでない」とは、心が屈折してい
る、曲がっていることだ。物事を悪く、ネガティブに受け取り、心
を腐らせてしまう。

主と御言葉を見続けることを捨てて、現状でのみ判断し、ひねくれ
たり、又、失望して行く。そうするなら信仰が働かない。すると自
分の感情に飲み込まれ、ますます屈折する。反対の方向へ向かって
しまう。主は、そこで信仰に立てと言われる。すぐに主のもとへ行
こう。

落胆した時は、沈んでしまうのでなく、そのままの状態を、まず主
に告げよう。「わたしを呼べ」と言われる通りに、主を呼ぼう。
「落胆しています」「信仰持てません」「主が見えません」と告げ
よう。それは主に向く事なので、そこに主が働かれる。すると心が
変わって来るから不思議だ。

続けて「助けて下さい」と祈ると、信仰が与えられる。ご計画があ
る事、災いはなく、平安と将来と希望のためである事、万事益とさ
れる事、愛されている事・・思い起こされて来る。大丈夫だと思えて
来る。信仰もって状況に対応できる。

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自分で動こうとする途端、すべての荷は自分の肩にかかり、何とか
しなければと重荷に暗く沈み込んでしまう。思い煩いでいっぱいに
なる。主が飛んでしまっている。原因は自分でしようとしていると
ころにある。「神様」とまず主を呼ぼう。