2016年06月06日(月)

「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください」詩篇25:4



私たちは、主の御心を行ないたいと願う。主は、そのような私たち
の内に働いて志を下さる。御心にかなった思いを起こし、私たちを
導かれる。主は思いを与えて導かれるが、自分の思いも湧き上がる。
主からの思いか、自分の欲による願望か、祈りが必要だ。でなけれ
ば自分の欲望や、自分に都合の良い事を御心と勘違いしてしまう。

見分けるためには、その思いは御言葉の原則に合致しているか、御
言葉に反していないか。御言葉と矛盾する導きを、主は決してされ
ない。そして、それは主の栄光が現れるか、周囲の人の徳を高め、
祝福となるか。誰かを傷つけるなら御心ではない。大きな事は、時
間をかけるとわかる。

自分の思いなら、しばらくは続くが、長くは祈り続けられない。御
心でない思いは消え去る。しかし主からの思い、志は、時間を経て
も変わらない。成し遂げられるまで、思いがあって、祈り続ける事
ができる。時々突発的に、ああすればこうすればと、アイデアや思
いが湧くが、翌日消えてしまうなら、主からの思いではない。

又、良い思いが湧き、祈るが、その祈りも忘れ去っているなら、自
分の思いだ。主は「志を立てさせ」て下さると、同時に「事を行わ
せて下さる」。行なう力は、主から来る。主からの志なら、主が、
私たちを用いて成し遂げて下さる。
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日々、様々な思いつきとプランが沸き起こるが、感情のままでなく、
主に導かれて道を歩めることは感謝だ。今するべき事、またしばし
待つ事、どれが主の道か。動き始める前に祈りたい。