2016年09月06日(火)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる」詩篇55:22 



信仰者であっても、重荷はある。重荷の無い人生はない。その重荷
はどうすれば良いのか。御言葉は「主にゆだねよ」と言っている。
ゆだねるとは、例えば、椅子に座る時に、椅子に身体を任せること
だ。壊れないと信じているから座る。電車や飛行機に乗ると、必ず
目的地に到着すると信じ、身をあずけることだ。その時、自分にで
きる事は何もない。ただ身を任せることだ。

そうするなら、希望通りの目的地に行ける。その時に、信頼して任
せきるなら、リラックスできる。「あなたの重荷を主にゆだねよ」
とあるが、ゆだねる事が難しいとよく言われる。自分が握りしめて
いて、どうしても放せない。任せる事ができない。どこまでも、自
分が何とかしようとしているからで、自分の力で事を成し遂げよう
とする。

自分が手を放すなら、すべてがだめになるように思ってしまう。だ
から握りしめて放せない。しかし思うようにうまく事が進まない。
そのため、ますます思い煩いと不安でいっぱいになる。ゆだねるに
は、自らは何もできない、何のすべもないと知り、へりくだること
が必要だ。ギブアップだからこそ、ゆだねる事ができる。

「思い煩いをいっさいゆだねなさい」の前に「ですから、あなたが
たは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい」とある。自らの無
力を知り、へりくだる時に、神の御手がいかに力強いかを経験する。
そしてゆだねた心は平安に守られる。
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問題を主に渡さない限り平安も解決も来ないことを知っていても、
自分で思い煩う。思い煩う度にそれは大きな不信仰だと覚えよう。
へりくだり主に全てを託して主の祝福を待とう。