2016年12月07日(水)

「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」マタイ14:28 


真っ暗闇の嵐で、弟子たちがパニック状況の中、主が来て下さっ
た。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と。こ
の「わたし」は、神がモーセに「『わたしはある』という者であ
る」と語られた、絶対的な全能の神ということだった。その時に、
ペテロが、主のもとに行きたいと願った。

それで「私に、水の上を歩いてここまで来いとお命じになってく
ださい」と言った。彼は「主の言葉」があればできる。御心でな
ければ不可能だが、主がお心とされるならできると信じた。大変
な、見上げた、驚くべき信仰だ。すると、主は「来なさい」と言
われた。主は、そのペテロの、突然の要望に応え、叶えて下さっ
た。受け入れて、良しとして下さった。

ペテロは主の言葉を信じて、一歩を踏み出した時に、水の上を歩
いた!しかし、主から目を離して、荒れる風を見た途端、ぶくぶ
くと沈んだ。こんな事があり得るはずがないとの、思いに恐くな
り、おぼれかけた。私たちもどうだろう。今、目の前の悩みや状
況に、目を奪われてしまっているだろうか。

その時、必ず主から目が離れている。主には問題なく、自分の
「信仰」が問題だ。今、目はどこに向いているだろう。御言葉が
与えられて、踏み出したが、右往左往しているなら、今一度、主
に向き直し、問題にでなく、御言葉に立とう。その時、前に進ん
で行ける。
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御言葉から現実に目を向けたとたん、平安は失せて波風が迫
ってくる。御言葉を信じきれない不信仰を主に差しだし、くり返
し御言葉に立とう。主を信じようとする者を主は必ず守ってくだ
さる。