2017年05月07日(日)

「そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。 『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』」マタイ14:31



主は弟子たちを舟に乗り込ませられたが、その舟は強い嵐に見舞わ
れた。懸命に漕いでも、舟は進まず、漕ぐのをやめるなら、逆風に
押し流されてしまう。弟子たちはもう死にもの狂いで、逆風と長時
間悪戦苦闘していた。そんな時に、ずっと見ておられた主が湖の上
を歩き、近づかれた。しかし彼らは、その人影を幽霊だと思い、恐
怖の叫び声を上げた。

だが「しっかりしなさい。わたしだ」と、御声をかけられた。する
とその時ペテロが、水の上を歩いて主のもとへ行きたいと願った。
大変な願いだ。主は、それをとがめる事も、拒む事もされず「来な
さい」と招かれた。ペテロは主の言葉があれば、行けると信じ、一
歩を踏み出した。まだ風がやむ前の、波風逆巻く大嵐の中だ。

何と、そのまっただ中を歩いた。一心に主を見つめている間は歩け
た。しかし、風を見た途端、恐怖の余り、ぶくぶくと沈み始めた。
水の上を歩くなど、この世の常識、価値観ではあり得ない。今、自
分は何をしてるのか・・。私たちも主から目を離すと、必ず沈む。だ
が、「主よ。助けてください」と叫ぶと、「すぐに」手をのばし、
つかんで下さった。

私たちも、主の御声を聞いて、従おうと一歩を踏み出す。しかし主
から目を離して、逆巻く波風に恐れをなしてしまう。沈みかける瞬
間に、主がつかんで助け上げて下さる。何度も何度も助け上げられ
て、今がある。沈む時は、主から目を離した時だ。繰り返し〃信仰
の練習をして下さっている。「助けて下さい」に、すぐにつかんで
下さる。

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日常生活でずっと経験する。どんなに大変な中でも、主を見上げる
と、平安と安堵に包まれる。主から目を離すと、状況に飲み込まれ、
ほんろうされて、沈んでしまう。しかしどんな時も主の大きな愛の
御手の中だ。いつでも主を呼ぶ事ができる。