2001年01月05日(金)

「イエスは答えられた。『あなたは自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなた にわたしのことを話したのですか。』」 (ヨハネ18:34)

ピラトがイエスを取り調べている時、このローマ総督は囚人に尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王なのですか」。
イエスは質問をもって答えられた。「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それとも他の人々が、私の事をあなたにそう言ったのか。」
つまり、「ピラト、あなたは救い主のことを個人的に求めているのか。それとも、他の人から私について聞いた事を、口にしているのに過ぎな
いのか。」
この質問は、今日の私達に関係がある。イエスは、あなたと私に尋ねられている。「本当にあなたは、私を知りたいのか。それとも、他の人から聞くだけで満足しているのか。」
イエス<を>知ることと、イエス<について>知ることとは決定的な違いがある。
イエス<を>知ることは、個人的な関係である。それは、私の救い主、私のいのちの主として、イエスに自分を明け渡す事から生まれる。
イエス<について>知るとは、間接的な関係にすぎない。他人から受け継いだ関係である。
あなたは個人的に知っているか。それとも間接的に知っているだけか。