2017年07月07日(金)

「私たちには五つのパンと二匹の魚のほかは何もありません」ルカ9:13



男だけで五千人の人々、女、子供を入れるともっと大人数の人々が、
主のお話を聞きに集まっていた。夕刻になり、弟子たちは、人々を
回りの村々に分散させ、宿と食事を取れるようにと、主に申し出た。
ところが主は「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」と言わ
れた。

その時に、弟子たちには、子供のお弁当小さな五つのパンと二匹の
魚しかなかった。それ以外には何も無かった。しかし、主はそれを
持って来るようにと言われ、その五つのパンと二匹の魚を受け取ら
れ、それを天を見上げ、感謝の祈りをされ、弟子たちに群衆に配る
ようにと与えられた。

すると、人々は十分食べて皆が満腹し、なおパンくずを集めると十
二のかごがいっぱいになった。私たちはどうだろう。多勢に無勢、
こんなものが何になろう。何の役に立つのだろう。私たちの時間、
労力、金銭・・莫大な必要を前にして、私の献げるものなど焼け石
に水、無きに等しい。献げても無駄、そんなふうに思うだろうか。

しかし、男だけで五千人、全員だと一万か二万人か。そこに小さな
五つのパンと二匹の魚だ。量の多い少ないでなく、主がおられるこ
とが重要だ。主がおられるなら、どんなに僅かでも問題無い。あな
たの手にある時間、労力、金銭、それで十分と。

あなたの手に置いておくなら、それはそのままだ。しかし主のもと
に持って行くなら、主が大きなみわざをされ、皆が栄光を拝するこ
とになる。主の手にあるかどうかだ。
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手の中の物を見ると無いに等しい僅かな物に見えるが、そこしか見
ないのは何と不信仰だろう。主はいつも大きく用いてくださった。
信仰を持って主の手に渡して行きたい。